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環境史から学ぶ地球温暖化 (エネルギーフォーラム新書)

環境史から学ぶ地球温暖化 (エネルギーフォーラム新書)の写真

・中世の温暖期は突然終わり、その後は数世紀の間、寒い気候が続いて、「小氷期」と呼ばれている。1315-1322年にかけて欧州の気候は急速に悪化し、極寒の冬が来た。穀物生産は3分の2、羊・牛の生産量は10分の1、150万人の死者が出た。1360年にはペストが流行して、人口の3分の1が減少し、回復するのは17世紀になってから(p21)

・小氷期により欧州では、イギリス・バルト海ではワインからビールへ、コニャック地方とシャンパン地方では冷涼な気候で育つ葡萄が原料とする新酒が開発された(p23)

・日本で米作の裏作として麦を作る二毛作が鎌倉以降に西日本で広まったのは、気候の冷涼化で米作が凶作になりやすいという面と、米とは異なり年貢の対象にならない面もあげられる(p27)

・黄河が黄色くなったのは(黄土がむき出しになった)農耕以上に、羊やヤギ等の牧畜の影響がある(p33)

・フランスの森は、800-1300年の間に3000万から1300万ヘクタール(日本面積:3700万)へ減少、米国の東海岸は1620年までは原生林に覆われていたが、現在はなくなった(p34)

・日本では白米への憧れと、米納年貢制の画一的な採用が本来の稲作不適地への米作拡大となった(p64)

・江戸時代以降、戦後まもなくまでの日本は、禿山や草山のみ、現在の日本の景観は歴史的には珍しい(p72)

・江戸時代には既におおくの公害があった、新田開発に伴う汚水、水車設置による泥、鉱山の毒、都市のゴミや糞尿があり、今日の基準でみれば大変不潔であった(p75)

・主穀たる稲の作付不良、凶作に応じて、粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・蕎麦・麦などの雑穀で補填していた(p103)

・農村で米を食べなかったと誤解された理由の一つとして、雑穀米を見慣れない人が勘違いした、米を50%入れた雑穀米はほとんどコメが無いように見える(p107)

・関東大震災では、横浜市・三浦半島等の神奈川県の南半分は1-3メートル隆起、丹沢山地は1メートル沈降した、千葉県の房総半島は1-4メートル隆起した(p114)

・会津磐梯山は、1888年の大爆発で、北半分が吹き飛んで姿が全く変わってしまった(p115)

・2100年までに3度程度の地球温暖化であれば、自然変動に比べて小さく、過去の経験に照らすと、日本人は容易に適用してしまうだろう、縄文時代にそうだったように、照葉樹林や広葉樹林の地域が広がるだろう(p124,129)

・十津川はかつて落人が生活するためにようやく見つけた住処であり、かつて北海道に集団移転したという歴史もある(p153)

・原子力発電は、現在は評判が悪いが、ドイツ・スイス以外は、すなわち、英仏露インド中米は、利用拡大の意思を変えていない(p175)

・COP17(2011)において、日本・カナダ・ロシアは、2013年以降は離脱することを表明して、京都議定書体制は崩壊することになった(p181)

・COP17での重要な決定、1)すべての国が参加する枠組みについて2015年までに交渉を完了して2020年に施行する、2)第二約束期間が設定されたが、日本・ロシア・カナダは入らずに、欧州と途上国のみの枠組みとなった(p192)