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これまでの百年 これからの百年【増補改訂版】

これまでの百年 これからの百年【増補改訂版】の写真

・これからの百年はそれまでの百年と違って、「戦争と革命の連続した時代」から長期にわたる「平和と安定の続く時代」であり、その経済面では「インフレ」から徹底した「デフレ」が支配する(p4)

・これまでの百年に日本が際立った成功を収められた理由は、世界全体が東西両陣営に分断され、その間で戦われた冷戦のなかで、日本は日米安保による庇護の下に置かれ、冷戦を遂行する役割を免除されたから(p11)

・大不況と言われた 1873-1896年までは、すさまじい物価下落が続く中、世界全体の貿易は 1869年の 8億ポンドから、 1896年には 39億ポンドとほぼ5倍になっている、ドイツ・フランス・アメリカで産業革命が進行した(p22)

・世界で大学に工学部を最初に設立したのはヨーロッパの先進国ではなく、日本である。明治6(1873)年、世界ではじめて東京大学に「工部大学校」を設置した。(p28)

・日本の場合は、中央銀行である日本銀行よりも、貿易金融を専門にする銀行である、当時の横浜正金銀行の設立を優先させた、明治13(1880)年の設立は、翌年設立の日本銀行より早かった(p29)

・生麦事件で起きた薩英戦争を集結させる条件として、幕府は当時のカネで10万ポンド(100万両)を払い、そのため徳川幕府の金蔵は空っぽになった、薩摩藩は幕府の統治下にあるということで支払をした(p30)

・1973年という年は、たとえば日本の粗鋼生産、原油輸入量ともに最高を記録し、それ以後一度もその記録を更新したことは無い(p35)

・貿易実績は、消費財輸出は全体の19%のみで、残りは生産財・資本財である、多少の円高でドル建ての日本からの商品の輸出価格が上がっても、企業は日本から機械や部品を買う以外にない。これが日本の強みである(p36)

・18世紀イギリスの造幣局長官を務めたアイザック・ニュートンの設定した、金:銀=1:15とする「ニュートン比率」は、その当時としては「金銀複本位制」を維持するために最も重要な原則とみなされていた。それが、カリフォルニア、オーストラリア、カナダと金鉱山が開発されるにつれ、銀のほうが有利と見做されるようになった(p49)

・1871年、ドイツ・フランス戦争の勝利により、ドイツ帝国は 50億フランを金でフランスから獲得し、これを原資に 1875年に国立銀行が設立し、金本位制となった(p52)

・欧米諸国は、石油精製によって登場してきた「灯油」の登場までは、鯨油を唯一の灯火原料として使用していた(p56)

・徳川幕府は、開港地として約束した「神奈川の代替地」として横浜を選択する代償として、外国人居留地、さらに港湾施設すべてにわたって、自力で自らの経費で建設した、これは上海とは異なった。横浜にいたイギリス、フランス軍は自主的に撤退したが、上海では1945年まで外国軍隊が租界の防衛をした(p113)

・日本の防衛組織は、人的にも質的にも、第二次世界大戦前の陸軍・海軍の伝統を継承をするものになっていない(p144)

・電気炉製鋼によるエネルギーの消費量は、銑鋼一貫方式によるエネルギーの20%で済む、投入した鉄くずを溶解するためのエネルギーの殆ど半分以上は、天然ガスで賄うことが可能、例えば東京製鉄等(p190)