・日本とソ連との間には中立条約が締結されていた、ソ連は4月5日に翌年が期限であったその中立条約の延長を通告してきた、それに対して楽観的見方をしたのは日本政府(p59)
・情報を共有すべきであったのは、国家の命運を委ねられた6巨頭(参謀総長、軍令部総長、総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣)であったが、外務大臣(東郷外相)には、必要な情報が共有されていなかった(p89)
・5月25日の東京大空襲において、皇居は炎上して海軍省・外務省も焼失した、ミッドウェー海戦を強行したのは皇居への空襲を防うためであったが(p141)
・鈴木多聞の研究によれば、昭和天皇が降伏を決断したのは、原爆投下でもソ連参戦でもなく、九十九里浜の築城の遅れを理由にした本土決戦不能論であった(p166)
・陸軍の兵員数は、終戦時には547万人、海軍の241万人を合わせると788万人、超巨大組織。433万人が日本にいた。1944年の直接軍事費は、国家財政支出の9割にあたる735億円(p176、317)
・7,8月の本土来襲回数は、合計112回、機数は、のべ3万機(p184)
2013年10月27日