・原爆投下はあくまでも無差別爆撃の延長線上にあると捉えるべき(p27)
・日本軍による重慶爆撃(1938年12月開始43年8月、200回以上)はアジアで最初の無差別爆撃であり、ゲルニカ爆撃よりもはるかに規模が大きく、長期で犠牲者も多かった(p30)
・重慶爆撃は空戦規則(ハーグ条約)に違反しているが、アメリカ・イギリス連合国はこれを戦争犯罪として起訴しなかった、これを裁くと、東京大空襲はもちろん、原爆投下も国際法違反となるので(p33)
・当時は枢軸国も連合国も、程度の差はあれ、軍事力によって領土拡張を目指していた帝国主義国であった(p35)
・日本はソ連に和平交渉を持ちかけていたが、同時に、スウェーデン、中国、スイス、ポルトガルの大使館を通じて和平交渉を活動していたが、その情報はアメリカに筒抜けであった(p43)
・昭和20年4月27日の第一回目標選定委員会では、17都市が候補として挙がった。広島、長崎、東京湾、川崎、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、呉、下関、山口、八幡、小倉、熊本、福岡、佐世保、5月10-11日の第二回では、京都・広島(AA)、横浜・小倉(A)、新潟(B)の5つに絞られた、効果確認のために5都市は通常爆撃の目標から外される(p91、92)
・兵器工場(小倉陸軍造兵廠)を擁した小倉よりも、人口100万の工業都市で日本の古都である京都が有利とされたのは、心理的な観点から(p92)
・5都市のうち、横浜が、占領政策に利用する可能性があるので候補から外された、京都もスティムソン(原爆使用をきめる委員会の委員長)の強硬な反対(将来、ロシア人になびく可能性ありという意見をトルーマン大統領が賛同)にあって除外となった(p94)
・ウラン型原爆は構造が簡単で爆発させやすいので実権すら行われなかった、濃縮ウランの製造が困難で量産が難しい、プルトニウム型爆弾は、構造が複雑で起爆装置が狙い通りに作動するかの実験が必要であった、しかし量産は簡単という特徴があった(p97)
・1945年4月6日、ソ連は日本に中立条約を延長しない旨を通告した、日本はソ連と戦うドイツと同盟、かつソ連の同盟である米英と戦っているからという理由。最初の期限が切れるのは4月26日(p112)
・アメリカはソ連のポツダム宣言参加について、日本とソ連は交戦状態にないとの理由で参加を認めなかった(p113)
・天皇が降伏決断をした最大の理由は、本土決戦の準備が進んでいなくて、三種の神器も守れない、というのが最大の理由(p130)
・原爆被害者の、残留放射能の存在を認めて、内部被ばくの影響を認めてしまうと、核兵器は化学兵器や毒ガス兵器と同じ「汚い兵器」になってしまうので、日本政府は内部被ばくを認めない理由(p184)
・米国の調査では、放射線の影響を検討するにあたって、非被爆者は考慮せずに、異なった距離の被爆者間の比較をすることにした(p225)