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不敗の名将 今村均の生き方 -組織に負けない人生を学ぶ-

不敗の名将 今村均の生き方 -組織に負けない人生を学ぶ-の写真

・アメリカは平和時には少将が昇進の最後になっている、大将は職務に付随するもので、海軍大将は作戦部長、太平洋、大西洋、アジア艦隊司令長官の4人だけが在任中なれる、転職するとまた少将に戻る。日本も戦前戦中はこのように運営されていた(p46)

・昔は軍人は大佐が最高であった、陸軍なら隊長、海軍なら艦長で、その上は王様か皇帝が直々に就任する司令官しかなかった。ところがナポレオンが連戦連勝して全欧州の各地の王様を相手に政治折衝するようになり、いちいちナポレオンに相談できないので隊長の上に政治もできる将軍を置くようになった。戦争以外に和平や戦後秩序のあり方まで決定できる権限を持っているので、ジェネラル(一般)と呼ばれた(p46)

・平常心の回復手段として、東洋では座禅、書、和歌、茶の湯、舞など、西洋では瞑想、器楽、散歩、ギリシア哲学の読書、詩の暗誦等、上に立つ人は努力している(p68)

・日本陸軍では中隊はもっともよくまとまった戦闘単位及び生活単位で中隊長はお母さんだと教えていた、兵隊人数は戦時平時で増減するが、約160名、これを補佐するのは兵隊から昇進してきた准尉、中隊の下には4小隊があり、小隊には分隊がある、兵隊をよく殴ったのは分隊長とか班長とかの下士官、一年先輩の古兵である(p81)

・徴兵で入ってくる兵隊は二年間勤めると満期除隊して社会へ帰っていく、志願兵は一生勤務して少しずつ昇進するので年長でも士官学校出の将校の下につくことが多い(p93)

・会社でも家族でもなんでも同じだが、何か問題を見つけた人は、その解決策もセットで直接当事者に提案するとよい(p108)

・人の信用は勤務に永続性があるか、と賃金を後払いされてもそれまで待てる財力があるかどうか、及び一度に多額の給料をもらってもそれを浪費せずに1週間か1ヶ月計画的に消費する生活ができるかにかかっていて、それが日給、週給、月給に現れていた(p132)

・人には誰でも暗い思い出や悲しい話、引け目に思っていることがあるが、それはそれを本当に理解してくれるだとうと思う人にしか言わないものである(p135)

・第一次世界大戦でドイツ、イギリス、フランスは近代工業の酔を尽くした新兵器を投入して戦った、兵器の進歩に伴って戦術戦法、軍の編成、指揮命令の考え方までが大きく変化した。しかし欧州大戦の局外にあった日本は陸軍も海軍も一挙に二流の軍隊になってしまった(p149)

・昭和12年以降の全面戦争において、日本の若者は手渡された兵器が、日露戦争当時の38式小銃、第一次世界大戦終了後に英仏からバーゲンで買った大砲、機関銃を使用、補給システムや補給用車両の近代化も全然できなかった状態で戦わされた(p150)

・日本全体を軍国化させようとする動きはテンポを早めた、国民もその陸軍の動きに強い支持を与えた、その理由として国民の過半をしめる農民の生活があまりにも貧弱であるのに対して、都市に住む華族・官僚・インテリ・商工業者等の生活がかけはなれて裕福だったことが挙げられる(p178)

・日本が保有する師団は、近衛師団以下28師団あったが終戦時には194師団あり粗製乱造された(p188)

・日本の軍政下にあったインドネシアの人々は、なぜ今村均を救おうとしたのか、それは日本軍が行ったのは軍政であり、圧政ではなかったから(p229)