・ドイツからロシアへの鉄道輸送は、まず鉄道部隊により軌間変更作業から始めなければならなかった、加えて燃料となるロシア産石炭は粗悪でドイツ産の石炭かガソリンを天下しなければドイツの機関車には使用できなかった。(p49)
・スパイクスマンは、リムランドを制するものはユーラシアを制し、ユーラシアを制するものは世界の運命を制する、とマッキンダーとは真逆の主張をした(p63)
・戦闘力は二乗に比例する、例えば英国戦闘機5機とドイツ戦闘機3機が空中戦をやれば、かつては英国の戦闘機は3機撃墜2機が残り、ドイツ戦闘機は絶滅すると考えられたが、統計では5の二乗25、3の二乗9で、その差は16、その平方根は4、従って英軍戦闘機は4機残り、ドイツは全滅となる(p80)
・御前会議の前で陸海軍、外務省の出身母体の意向に逆らってでも自己の信念を貫き通す人はいなかった、敗戦後、杉山元帥はじめ合計527名が自決したが、その覚悟と勇気をなぜ開戦前に示せなかったのか(p81)
・開戦時58万トン保有していたタンカーは終戦時には25万トン(可動6万トン程度)、外洋可能タンカーは1隻であった(p90)
・大型空母:7対27、小型空母:8対76、戦艦:2対8、太平洋戦争開戦以降の建造した比較はこうなる、この差は、部品を規格化して同タイプの艦船を大量生産する米国と、職人感覚で一隻ずつつくることにこだわる差である(p99)
・シーレーンを守るためには、制海権(海軍、空軍)、制空権(海軍、空軍)、基地(不沈空母)が不可欠である、制海権と制空権の機能を併せ持つ空母機動部隊を編成したのがアメリカである(p111)
・P51は零戦より傑作で史上最高のレシプロ機とされるが、多くの燃料が積めずサイパンからの出撃は不可能であったが、硫黄島からは可能であった。それまで丸腰であったB29艦隊は、日本の迎劇戦闘機に撃墜されたこともあったが、P51の登場により激減した(p116)
・インパール作戦に反対した、15軍参謀長の小畑少将(陸軍大学校卒業、兵站部門の輜重兵科出身)およびビルマ方面軍稲田参謀副長も更迭されていった(p126)
・日露戦争において陸軍第3軍は難攻不落の旅順攻略を陥落、これによりロシア太平洋艦隊を撃滅し日本海の制海権は日本のものとなり、次のバルチック艦隊との決戦も有利となった(p145)
・日露戦争の時に日本国内にまったく予備兵力がない状態だった、兵力増強のために徴兵令を改正し、服役期間を従来の5年から10年に延長した(p149)兵力も兵站もほぼ使い切って限界に近づいていた、ロシアはあと2−3年戦い続けられる余力を持っていた。ロシアを講和条約に引きずり出せたのは、日本海海戦の完全勝利と、明石大佐の謀略活動があったから(p208)
・朝鮮戦争では圧倒的な制空権のもと、板付、芦屋、築城(いずれも福岡)および岩国(山口)の米軍基地からの米海空海兵隊の出撃があった、広島型原爆の約54発分に相当する量であった(p220)北ベトナムの空爆量はその3倍(p260)
・湾岸戦争の米国防費の総額は610億ドルと言われるが、各国からの支援金は88%以上、サウジアラビアとクウェートを除けば日本の支払額は第一位だった(p284)湾岸戦争は、地政学的にみればスパイクマンの唱えるリムランドにおける戦争(p286)
・米軍はサウジアラビアに進駐できたので(予想外の出来事)確固たる足場を得ることができた、兵員・兵站を受け入れる港と空港が確保できたことになる(p296)