・衆議院と昔の貴族院の境にあるホールを除いたら、部屋の隅の高い台の上に大きな銅像がそびえ立っていた、伊藤博文、大隈重信、板垣退助であった、あと一つは空だった(p39)俺(田中角栄)と同年同月生まれの中曽根康弘という東大出の内務官僚出身のエリートが、民主党の党首・芦田均を担いで反吉田陣営のホープであった(p40)
・総裁選の血kは、田中:156、福田:150、大平:101、三木:69票であった、決選投票では、田中が大平と三木陣営を獲得し、田中が選出された、大平は100を超えて3位となり面目を施し、三木は70に満たず面目は潰れた(p78)
・総理になった俺自体の責任として、日本という国を作り直すこと、念願だった日本列島の改造、そしてアメリカに先を越された隣の中国との関わりの健全化であった(p80)
・総生産や国民所得は増えてきたが、それに比例して国民が1日に行動し得る距離が増大してきた、歩いていたのが自転車、自動車となり、さらに新幹線とまでになった。ところが大都市のサラリーマンの通勤距離と通勤時間は増大し、それは生産性を妨げ交通機関は発達したのに、そのプラスメリットが企業に活かされない状態になってきた(p83)そのために生産手段も含めて企業を地方に分散させなければならない、そのために新幹線を日本中に走らせ、どの県の県都の近くに飛行場を作り、国民の移動の時間と距離を短縮させて、総生産量が向上し利益が増大すれば、高齢化にも対応できる予算も潤沢になり社会も成熟していくだろう(p84)
・今回の日中首脳会談の後、共同声明で国交正常化を行い、条約の形を取らない方式に賛成する、平和友好条約や国交樹立の後に締結したい、これには平和五原則に基づく長期の平和友好関係、相互不可侵、相互信義を尊重する項目を入れたい(p92)
・アメリカ空軍の司令官のドーリットルが空母に10機搭載のB25という中距離爆撃機を突き込み、日本国土を奇襲攻撃した、母艦には着艦できず帝都東京と大阪を襲った後に、中国大陸にたどり着いた。これは被害は知れたものであったが、許をつかれて帝都の空を侵されたことは軍にとっては面大潰れであり太平洋方面の司令官は罷免された、このため、大陸の日本軍は次に備えて、彼らが空襲ののち、ギリギリたどり着いて生き残れることのないように、占領地域を飛行機が到達し得ぬ奥地へと拡大せざるを得なかった、そのために日中両国の人的被害は拡大された(p94)
・ロッキード問題で俺(田中氏)が傷を負った後だったが、それでも軍団が実力を発揮したのは、昭和53年の総裁選挙で本命と言われていた福田を破って、盟友の大平を当選させた時だったろう(p143)
・大平、鈴木、中曽根の歴代内閣でも連中はかなり俺(田中氏)のいうことを聞き入れていた、俺の家にも千客万来で、キッシンジャー、ニクソン、趙紫陽など。裁判が始まって6年ぶりに判決が出て、裁判史上初めて総理大臣の職務権限による収賄罪の成立を認めた(p143)
・時空を切り拓く身体の軸芯は、田中の場合の先見性による戦後日本の豊かさの獲得へと結びついていった、1960年の日本人の平均年齢は28.5歳、2017年は46.5歳、かつて社会は若く時空は無限にも広がる可能性に満ちていた(p221)