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普及版 世界が語る神風特別攻撃隊─カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか

普及版 世界が語る神風特別攻撃隊─カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのかの写真

・ 日本海軍は昭和19年6月19日から実施される マリアナ沖海戦で、空母機動部隊 9隻のうちの空母 3 隻が沈没し 残る 6隻も敵の潜水艦や 敵機によって大きな被害を受け 艦載機の 大半が失われて 壊滅したが 米国 部隊は100機の 艦載機を失っただけであった、連合艦隊は アウトレンジ戦法が敵の対空レーダー・ VT 信管・ F 6 F ヘルキャット戦闘機の前で完全に封じられたことで壊滅的な状態に追い込まれ 南太平洋の制海権を失った、 これにより 米軍には 物量の格差 だけでなく 兵器の性能や 戦法などの面で 到底 太刀打ちできないことがはっきりとした (p5)

・これまでの日本軍の常識を超えた戦法を模索する 意見はすでに ソロモン 地域での苦戦の頃から 胎動していたが 日本海軍 首脳部では「必死必中」の 特攻 戦法を受容しなかったため 具体的な進展は見られなかった、 だが 従来の「伝統的な戦法 =99%死を伴う決死攻撃は常に これを行うけれども、 初めから生還の道のない 攻撃法は断じて これを退けてきた」から「必死 必中」の特効 戦法に転じたのは、 このような特殊な事情が背景にあったことを理解しておかなければならない (p5)

・戦後 ウェア マイスター 米海軍中尉が 、神風は 米艦隊の 撃滅には成功しなかったが 多大の損害を与えた、 従来の戦法では とても こんな成果は上げられなかったであろう、 と述べているようにわずか 十数機の神風特攻隊が同日に護衛空母群を攻撃した 栗田艦隊( 戦艦大和 以下 数十隻)と同じ成果をあげた(p6)

・英国の歴史家 ウェルズが「この体制は植民地主義に終止符を打ち白人と有色人種の平等をもたらし 世界連邦の基礎を築いた」と大東亜戦争の世界史的な医療を述べているように、 大東亜戦争は戦後のアジア・アフリカに多くの独立国家 を生み出す 契機を与えた戦争だと思われる (p13)

・陸海軍特攻隊員の大半が 志願兵によって構成されているにもかかわらず、 あえて学徒出身の特攻隊員の遺稿だけを集めるのは 特攻 批判に都合のいい材料が 志願兵 よりも多くあるからであろう (p29)

・陸海軍には搭乗員と同様に、特攻を拒否した部隊(343海軍航空隊、 203海軍航空戦隊 303飛行隊、 131海軍航空隊、 762海軍航空隊 攻撃501飛行隊、 931海軍航空隊、 陸軍65戦隊、 陸軍 100戦闘飛行団)もあった、 特攻が 命令であったならば 命令には絶対に服従しなければならない 軍隊でこのような 拒否ができるはずがない、 拒否ができたのは 現場の指揮官や 搭乗員の合理的な理由を尊重したからである(p51)

・昭和19年10月20日から 昭和20年8月15日にかけて 約10ヶ月間にわたって 出撃した陸海軍の特攻機は合計3461機( 陸軍機1094、 海軍機 2367)で特攻 戦死者は合計4379名( 陸軍 1844、 海軍 2535)となっている (p213)

・ 44ヶ月間続いた戦争のわずか10ヶ月間に アメリカ軍艦 損傷 艦数総数の48.1%が、沈没艦総数の21.3%が特攻機による戦火であった、 2550機を犠牲にして 474 機を命中させた有効率は18.6%であった (p216)

・秘密 解除された米海軍 機密文書は、1944年10月から翌年3月までの5ヶ月間の記録で、体当たり 攻撃356回、 特攻 命中140機、 命中率 39%、 特攻機至近の自爆による被害 59機、 至近自爆機 被害率 17%、 合計特攻効果率 56%、 命中艦船 130隻、 沈没 艦船 20隻という 大戦果をもたらしたことを記録している(p218) 当時の雷撃と大砲の命中率が2%前後だったと言われることから見ても 特攻隊の成果は素晴らしい(p235)

・特攻機が目標に到達できなかったのは最初だけで後半からピケット艦 (レーダー哨戒艦艇)に集中攻撃を行い その間隙をついて別のグループが敵の本陣に切り込みをかけて行ったのが 真相 である、 1991年の 湾岸戦争の時に米軍は最初にイラク軍のレーダー サイトを破壊してからバグダッド を攻撃したが レーダー網を破壊してから敵の本陣に切り込むという戦法は日本軍が最初に生み出したものである(p231)

・日本海軍航空隊が25年間に生産した飛行機数は4万3399機であったが 零戦は 試作 から終戦までに その1/4にあたる1万410機が生産された、全体の11.4%に当たる 1188 機 の零戦が 特攻機として 出撃、 全海軍特攻機数の50.2%に当たる(p238)

・米軍は レイテ 作戦 以来の特攻による甚大な被害によって味方の士気に影響することを恐れ戦果の公表を4月12日まで半年間にわたって 禁じたほどである(p251)